Saturday, 1 February 2014

カウナスの杉原ハウスにて at SUGIHARA House, Kaunas

2009年9月の連休を利用してタシケントからBaltic Airの直行便でリガへ、それからバスでヴィリニュス、カウナスを訪れた。

素晴らしい秋晴れの連続だった。

ここは、今ではかなり有名になった「杉原千畝」が執務していた元在カウナス日本領事館、今は、Sugihara Houseとなっている。

アレッポのスークにて At Souq of Aleppo

中東最大と言われたアレッポのスーク、2012年に内戦で大半が消失したとのニュースを聞き大ショック、その後の情報がない。 

2001年、ラタキアで仕事をしていたときにアレッポへ行った。スークを散策したが奥が深い。この辺りは絨毯のセクションだった。

左は、Fadi、調査団のアシスタントをしていた学生。

ヒヴァ・イチャンカラにて at Itchan Kala of Khiva

ヒヴァ・ハーン国の都、2009年5月に訪れた。

1996年が最初だったが季節が良いからなのであろう、観光客が多かった、その多くは小中学高校生たちで、バスで数時間かかる町から来ていた。

アンチレバノン山脈にて at Anti Lebanon Mountains

at Anti Lebanon Mountains in March 2004 on the way to Beirut from Damascus.


カイロのハーンハリーリの塔の上 at the top of Bab Zweyla, Khan Al Khalili

Viewing Cairo from top of the tower, Bab Zweyla, built on Khan Khalili gate, Cairo in Dec 2007.

12 月だった、この年はイスラムの祝日と週末が重なったのか3ー4日の連休となった。早く出張していたメンバーは私がカイロに着いた頃には既にアッパーエジプ ト行きを決めていたが、私は調査対象であったカイロをじっくりと出来るだけ自分の足で踏査することにした。

南門Bab Zweyla,の上に二つ塔があり、片方に登った。そした ら素晴らしい眺望が開けていた。

ゴラン高原のクネイトラにて at Quneitra of Golan Heights

も う10年になる。2004年3月、シリア・ゴラン高原のQunritraクネイトラ県庁へ打合せに行った。その後、旧クネイトラ市街地を視察、ここは第三 次中東戦争(1967年6月)の最終日にイスラエルに占領され、第4次中東戦争(ヨム・キプール戦争)、1973年10月、ではシリア軍とイスラエル軍が 激しい戦闘が行われた。現在はUNDOF Zoneとなっている。

写真は元市街地、背景は手前がシリア軍が撤退する際に爆破した市街地、その先が現在の国境、国連監視区域なのでUNDOFの事務所 が最前線にあり、その前に鉄条網が張ってあった。鉄条網の先は農地だが行けない。その奥の丘の上、現在はイスラエル側、頂上にレーダーが設置され ている。 

春先なのでゴラン高原は初々しい緑に包まれていた。

ロンドン・バッキンガム宮殿前にて

At the Bagingham Palace in January 2002.
バッキンガム宮殿前にて、2002年1月、UCLへ行った時。