Friday, 23 January 2026

アラル海の干上がり

 アラル海(国境線の北がカザフスタン、南がウズベキスタンのカラカルパクスタン自治共和国)の干上がりによる縮小、1960年頃からアラル海へ流入するシルダリア川とアムダリア川から流入量が、途中の灌漑目的の取水のため減少し水位を維持できなくなった。

地図上のムイナクは漁港だったが、今は干上がり砂漠となり漁船の墓場と化している。2009年、タシケントからヌクスまで定期便で行き、車でムイナクまで行った。

遡ること1996年1月、ウルゲンチからMi2ヘリコプターをチャーターして視察を企画、搭乗して飛び立つ直前にブリザードでフライトが中止になったことがあった。その時は缶詰工場のあったアラル海の島にも着陸する計画だった。

https://www.facebook.com/reel/25538727315776768

ブルガリアのトルコ系人口

 ブルガリアの県別トルコ系住民(2021センサス)、全国平均で7.8%、トルコ系住民が多いのは東北地方の4県Razgrad(47.8%), Silistra (35.7%), Targovishte, (34.9%), Shumen (29.2%)と南部の1県Kardzhali Province (59.0%)である。このドナウ川を挟んでルーマニアと対峙する地域の偏りはオスマン帝国の国防的歴史的な経緯があったのではないかと推察される。若しくは、ブルガリア独立後の産業構造に由来なのか、情報が不足し推測の域を出ていない。

冷戦構造の崩壊と東欧の民主化に伴いトルコ系住民はトルコへ帰還する動きもあったが1992年9.4%、2001年9.4%、2021年7.8%と2000年以降に低下、これは移住の影響ではなく自然減と考えられる。ソ連時代の1965年9.5%、1975年8.5%とも大きな増減は見られない。

ブルガリアの少数民族は、多い順にトルコ人、ロマ、アルメニア人、ロシア人などである。

地図はfb、数値はwiki。



Wednesday, 21 January 2026

2026年1月のシリア暫定政府軍のSDF支配地域への進軍背景とその判断枠組み

2026年1月のシリア暫定政府軍のSDF支配地域への進軍背景とその判断枠組み 

1. 背景:2025年3月の合意とその実施遅延

2025年3月、シリア暫定政府(Ahmed al-Sharaa暫定大統領)は、SDFと北東シリア全域を政府管理下に置き統合する枠組み合意に署名していた(中央政府管理・油田・国境管理の統合など)。

この合意は 「政治的統合を通じた主権回復」 を大前提としており、政府軍がSDF地域に入る法的・政治的根拠として機能するはずでした。

しかし、合意の実施は進まず、指揮系統や統合条件、自治権の扱いなどでSDF側の不満と政府側の要求の間に溝が残っていた。


2. 判断基準①:合意の実行のための圧力と期限

政府軍による前進は、「合意を実行するための戦術的圧力」として計画的に行われた

  • 2026年1月中旬、SDFとの統合合意の履行が進まない状況に対して、政府は軍事的進出を開始。

  • この動きは単なる野戦攻撃ではなく、**合意履行と統合プロセス進展のための圧力戦術(enforcement mechanism)**として位置づけられました。

これが、政府軍「進軍」の大前提でした。


3. 判断基準②:戦力・領土支配の見直しとFighting Capability

進軍が単なる象徴ではなく、実際の戦線変動を伴った理由として次が挙げられる:

  • SDFは戦力と士気の低下、戦線の膠着と崩れを経験していた。これが政府側にとって、実力行使の機会として「踏み切る判断材料」になった。

  • 政府側はSDF地域から重要インフラ(油田・ガス田・主要都市・国境地帯)を確保することで、政治的・経済的基盤の強化を狙った。


4. 判断基準③:外交・国際関係の変化

進軍開始時点で重要だったのは、国際的な支持基盤の変化です。

  • 米国をはじめ一部の国々が、SDFを優先する政策から「シリア暫定政府との関係強化」へシフトしているとの動きがあった。
    *米国特使はSDF統合の機会と評価しつつ、長期支援を縮小する姿勢を示した。

この変化は、政府軍の進出に対する国際的な抑制力が相対的に弱まった状態を意味し、進軍判断の下支えとなったと考えられる。


5. 判断基準④:交渉カードとしての軍事的優位性

政府側は進軍と同時に停戦・停戦合意に向けた交渉も進めました。

  • 1月18日にはSDFとの包括停戦・統合合意が公表され、交渉枠内での前進・調停を図る流れになっていいる。

  • これには、軍事的優位を交渉カードとして使う判断が読み取れる。

つまり、軍事進出は「力の誇示」ではなく、政治交渉と合意の実現を促すための計算された展開だったのです。


6. 判断基準⑤:治安・管理責任

シリア政府は、SDFが管理していた刑務所や拘留施設(IS関連含む)での混乱が治安リスクを招いているとの立場も示した。

この点は、治安責任を中央政府が回収すべきという判断にも影響を与えている。


結論:総合的な判断基準

2025年末〜2026年1月にかけてのシリア政府軍の進軍は、単一要因ではなく複数の判断基準が組み合わさったものです:

  1. 既存合意の履行圧力としての軍事行動

  2. SDF戦力・支配力の相対的低下

  3. 国際的支援・関係変化による戦略的余地の拡大

  4. 交渉カードとしての軍事優位確保

  5. 治安維持・管理責任の回収という政府の公式判断

この全体像を「現実的な政治&軍事判断」として捉えることができる。

Thursday, 18 December 2025

ユーラシアの運輸交通ハブとなるイラン

イランはBRICSインフラ革命の中心地となりつつある。

イランをハブとする新たなシルクロードが正式に開通した。

中国との新たな鉄道路線とインド・ロシア廻廊における重要な役割により、イランの立場は政治的なだけでなく、構造的なものとなった。 



ユーラシアの運輸交通ネットワークの興亡

ユーラシアの運輸交通を巡る覇権争いはミドルコリドー構想により楔を打ち込むことができるのか、という状況。

ユーラシアの輸送回廊を妨害しているのは誰か?


巨大で収益性の高い貿易動脈である中国欧州鉄道は、西側メディアで著しく報道不足となっている。

なぜか?ロシアの輸送に依存したこの鉄道の成功は、ロシアの孤立化が実現可能という見方と矛盾するからだ。

最近のポーランド・ベラルーシ国境封鎖は、北京とモスクワの間に亀裂を生じさせようとする明白な試みだった。封鎖は失敗に終わったものの、「中間回廊」、つまりロシアを迂回する代替ルートに光を当てた。これは、ロシアとイランの影響力を弱めるために米国とトルコの利害関係者が積極的に推進してきたルートである。


🔸セルビアはこのインフラ戦争の重要な戦場となっている。EU加盟候補国であるにもかかわらず、セルビアは戦略的独立を追求している。


🔸中国と最高レベルのパートナーシップを築いている。


🔸中国の一帯一路構想(BRI)の主要支持国である。


ロシアと中国の企業が建設したベオグラード・ブダペスト高速鉄道が開通し、中国のギリシャ港湾都市ピレウスと結ばれている。


対抗戦略:

1️⃣EUの介入:EUは突如、セルビアの鉄道区間への資金提供を申し出た。懐疑論者は、この動きはピレウス・ブダペスト間の接続を遅らせ、中国の貿易を阻害するための策略だと見ている。


2️⃣米国の港湾圧力:ワシントンはピレウスにおける中国の支配に異議を唱え、インド・中東回廊をBRIのライバルとして推し進めている。


3️⃣エネルギー攻撃:ロシアのガスプロムを排除するため、セルビアのNISに制裁が課された。ハンガリー・セルビア間の新たな石油パイプラインが発表されたが、その後、ハンガリーの主要製油所が爆発により不可解な被害を受けた。


4️⃣天然ガス段階的廃止:EUはロシア産天然ガスの輸入禁止に動いており、トルコストリーム・パイプラインを通じたセルビアへのエネルギー供給を直接的に脅かしている。


要点:

新たな多極化時代において、西側諸国は経済、政治、インフラ面で組織的に「楔」を仕掛け、中国、ロシア、そしてセルビアやハンガリーといった主要な欧州パートナーとの戦略的協力関係を分断しようとしている。ユーラシアの貿易ルートの支配をめぐる争いは激化している。


出典:FB Norman Finkelstein

Sunday, 29 October 2023

ベルリン危機

 ベルリン危機、Checkpoint Charlieを挟んで手前の西側戦車と向こう側のソ連赤軍の戦車が1961年10月27日に緊張が高まり対峙した。



1961年10月17日、ソ連共産党第22回大会でフルシチョフ首相が年末までに東ドイツとの平和条約を結ぶとの主張を取り下げた。ウルブリヒト東ドイツ第一書記は事前に相談を受けなかったことからソ連の方針変換に不満であり、抗議の意思をこめて東ベルリンの境界線での入国審査の厳格化という実力行使に訴えた。

ケネディ大統領は西側諸国間でのベルリン問題の意見の相違の調整で苦しんでいた時期であり、一検問所でのトラブルを大きくする余裕はなかった。一方、フルシチョフは壁建設の時点でのケネディのシグナルから米国がこれ以上の行動に出ることは無いと確信しており、対峙の報告を聞いても「戦争なんて起こる訳はない」と考えていた。ケネディとフルシチョフは極秘で連絡をとり、一触即発の状態は20時間ほどで解消された。

Thursday, 10 August 2023

ソビエト連邦外務省ースターリン様式(スターリングシック)

 The building of the Soviet Foreign Ministry, on Moscow's Smolenskaya Square. It was built in 1948-1953 design by architects V. Gelfreikh, M. Minkus and designers G. Limanovsky and S. Gomberg. Photo by Pavel Balabanov, 1971.


スターリン様式、社会主義リアリズムの表現の一つ、社会主義の発展と革命の達成を摩天楼で表現し、労働者を鼓舞するという視点、ソ連の他の芸術分野同様に建築も「共産主義を理想的な社会秩序として賛美する」ことに位置づけられた。

その中でも特にスターリンゴシックと呼ばれたセブンシスターズというモスクワ市内の高層建築がある。

1)文化人アパート(1945年)

2)芸術家アパート(1952年)

3)モスクワ国立大学(1953年)

4)ソビエト連邦運輸建設国家委員会(1953年)

5)ホテル・レニングラード(1953年)

6)外務省(1953年)

7)ホテルウクライナ(1955年)

その他、ワルシャワの文化科学宮殿もスターリンゴシックである。

 

Thursday, 27 July 2023

バンコクの運河(1993)

Bangkok, 1993 .Nikon F3 HP+Zoom-Nikkor 35-200 1:3.5-4.5

1993年6月か、ラーマ9世通り、ホイクワンのビルの駐車場より。



The Hurt Locker

 2019/7/27

The Hurt Locker、イラク戦争後のバグダードが舞台、米軍爆発物処理部隊(EOD)を描いている、映画の中でIED(即席爆破装置)という言葉がよく出てくる、この言葉を知ったのはここで働き始めて治安維持研修のためイラク警察を招聘して実施しているコースタイトルからだ。この映画を観て爆発物処理部隊に憧れてその道に進んだ旦那を持つ人が同じ事務所にいる。2008年のアカデミー作品賞、監督賞などを受賞、ロケ地はクウェートとアンマン。



Monday, 16 May 2022

幸福な生活とは?アリストテレスのニコマコス倫理学

プラトンの弟子、アリストテレスはニコマコス倫理学の中で幸福な生活について述べている。

人々が考える幸福な生活は快楽的生活、社会的生活、観想的生活を行うこと。可能性を実現していくため、善く生きるためには徳が必要でる。徳には思考の徳、性格の徳がある。徳とは卓越性、力量とも、その物が持っている能力を最大限にする。

徳、人間が持っている能力を育てることによって身につく、持っている状態、教示で身につく思考の徳=知的能力、節制や勇気など習慣で身につく性格の徳=倫理的徳、これらが幸福な人生を送る必要条件となる。

重要な徳=枢要徳は賢慮(判断力)、勇気(困難に立ち向かう力)、節制(欲望を規制する力)、正義(他社、共同体をおもんじる力)、全ての徳が力として捉えられていることが重要ポイント。徳という力、節制、を身に付けると、我慢ではなく自らの力の充実、社会の中で実現する充実を手に入れるための節制となる。

Sunday, 13 June 2021

アレクサンドル・ネフスキー寺院の記憶

アレクサンドル・ネフスキー寺院、ソフィアの顔だろう、この写真は2011年5月、311の後







Sunday, 30 May 2021

庭先の名もない花とボヘミアングラス

 庭先のキスゲ似のこの花の名が未だにわからない、しかし、紅白でなかなかいい色合いなので切ってきた。適当な花瓶が見当たらなかったが、ボヘミアングラスの花瓶があったことを思い出して引っ張り出してきた。なかなかいいではないか。








Friday, 29 January 2021

1980晩秋の箱根

1980年晩秋だろう、城所と箱根へ行った。

城所が写っていないので城所が撮ったのだろう、カラーネガフィルムをカメラ部の友人がモノクロでキャビネに焼いてくれた。

城所のバイクはKawasaki KH-250、私のはHonda Hawk II、よく回るエンジンだった。


 

Saturday, 28 September 2019

ソ連邦を構成していた15カ国

ソ連邦が1991年末に崩壊してその構成国の15共和国が同時並行的に独立したが、整理してみるとこれまでに12カ国に滞在している。特に意図的に滞在しているわけでない、それらのほとんどが業務渡航やその経由地だ。

ハードルが高そうなトルクメニスタンはタシケントからの出張だった。イスタンブル経由だったので道のりは長かったことをよく記憶している。独立後に滞在していない3カ国は、ウクライナ、ベラルーシ、アゼルバイジャンだ。ベラルーシは2017年に行ったが旅券の関係で門前払いになった。ここには大使館がないので査証が取れないので断念している、帰国したら容易だ。アゼルバイジャンは、E-VISAになったようだ。

ウクライナは90年代後半だったと思うが日本国籍は査証免除になっている、それ以来、機会を伺っているが実現していない。キエフはソ連邦時代に一度滞在している。ここからだとウクライナ国際航空の直行便が飛んでいる、ただ、フライトスケジュールが好ましくない。

トルコ航空は航空運賃が同程度で時間も有効に使えるスケジュール。何も無ければ数日足を延ばしてみたい、もう少し先にならないと判断できないが。季節はそれほど良くないことは承知している。


Saturday, 13 July 2019

アラビアのロレンス

Colonel Thomas Edward Lawrence, also known as Lawrence of Arabia.
トーマス・エドワード・ロレンス英国陸軍大佐、アラビアのロレンスとして知られている。